ココロが綺麗だったら
すべてのものが綺麗に見える
すごく素敵だった恋人が
日に日に色あせて
もう素敵に思えなくなってしまうとき
変わっているのは自分の心だということ
恋をしたときは、自分の心がハッピーで だから全てが素敵に見えた
そもそも、完璧に素敵な人なんていうものは存在しなくて
素敵な人=私たちのココロがある人の素敵な部分を誇張したもの(ヒゲが素敵とか?)
素敵じゃない人=私たちのココロがある人の素敵じゃない部分を誇張したもの(耳毛も生えてるとか)
だから機嫌がいいときは
一緒に交差点を渡る、全ての人たちに優しい気持ちになれたりするよね
自分の心が澄んでいたら
世界は美しく思える
いろんなことがありがたく思える
周りの人たちがみんな優しく思える
心が濁っているときは
道を歩いていても、いじわるな人たちに囲まれているような気持ちになる
目が合った人が、難癖をつけているように感じる
そんな風に
私たちの心に映る全てのものには
全部、私たちの心が混ざっている
っていうことは
綺麗な世界に住みたいと思ったら
自分の心を澄ませればいいんだということ
外の世界を変えようとする必要はないんだということ
周りにあるものを綺麗にしようとすることは難しいけど
心を綺麗にするのに道具はいらない
ただ立ち止まって
ココロの空気を綺麗に入れ替えてあげるだけ
曇った心の表面を
そっと拭ってあげるだけ
瞑想したり
優しい存在のことを考えてみてもいい
自分を大切に思ってくれているお母さん
この電車を運転してくれている車掌さん
さっき笑顔でお釣りをくれたコンビニの店員さん
・・・ありがとう
そうしたらやがて
心に
そっと優しく
暖かく柔らかい心の光が現れる
そうして、心の中に優しい気持ちが湧き上がってくるのを感じたら
幸せな光が広がるのを感じたら
さっきまでの嫌なことは
もうさっきほどに嫌なことじゃなくなっている
心が綺麗なとき
そこに映る景色、人々や生き物や出来事は
すべて美しくなる
嫌な人たちがいるな、と思っても
自分の心を澄ませたら、その人たちはみんな美しくなる
だって 「生まれたときから最後まで、ずっと完全に嫌な人」 なんていうものは存在しないんだから
そうして
深呼吸から生まれた私たちの綺麗な世界は
あっという間に簡単に
私たちを幸せにしてくれる