罪悪感は、とても罪深い感情だと思う。
私たちにすごいストレスをかけ、自分を嫌いにさせ、孤独にしてしまう。
罪悪感があると、幸せを感じることはとても難しい。
では、罪悪感は一体どこからくるんだろう?
私たちが「頑張ってない」ことから?
私たちが「ちゃんとできていない」ことから?
だったらその解決策は、もっと頑張るということ?
そうじゃないんじゃないかと思う。
罪悪感は、心の感情。
それは心の一部であって、私たちの外側ではなく、心の中にあるもの。
だったらその解決策も、きっと私たちの心の中にある。
ゲシェラ師は、『人間の問題を解決する方法』という本の中でこう言っている。
実際には、
私たちの感情の問題のほとんどは、
物事をあるがままに受け入れられないことにすぎない。
その場合、解決方法は受け入れることであり、
外部を変えようとすることではない。
なにかがこうであるときに、「そうじゃなかったらいいのに」と思うことは、
とてもどうしようもなく、辛いことだと思う。
事実と理想との間のギャップは、心に葛藤を生み出し、それは罪悪感となる。
例えば、仕事で失敗してしまったとき。
感情で嫌なことを言ってしまったとき。
もっと頑張ればよかったのかもしれないけど、でもできなかった。
もっと我慢すればよかったのかもしれないけど、でもできなかった。
「こうであるべき自分」と「こうでない自分」との間のギャップはどうしようもなく、そしてとても苦しい。
だけどその解決方法は、「もっと頑張る」ことではなくて
ただ、「受け入れる」ことだったりする。
私たちは、それぞれの許容力の中で精一杯やっていて、その中でたくさん失敗もするし、足りないこともある。
それはただの事実であって、それ以上でもそれ以下でもない。
それを受け入れるだけで、私たちは、ずっと楽になれる。
受け入れるということは、これ以上努力しない、という意味ではなく
良くなりたいと思うことも、決して悪いことじゃない。
でも、良くなりたいと思うときに、いまの事実を受け入れられなければ、
それは誰かに道を聞いたときに、「ここからスタートしちゃダメですよ」って言われるようなもの。
そんなこと言われたって、いまここにいるんだから、
ここからの道を教えてくれないと意味がないし、むしろ頑張れない。
いつかもっと良くなれたらいいなとは思うけど、私はいまここにいる。
それがどこであったとしても、私はここにいる。
「いまここにいちゃダメ」と思う必要はなくて
「ここから、ここに行きたいから、こうやって行こう」と考え、そこに向かうだけでいい。
そして、その道のりは、楽しく勇気づけられるものがいい。
罪悪感はとても苦しい感情で、私たちに「もっと頑張らないと」と思わせてくる
罪深い感情。
それを解決する方法は、もっと頑張ることではなくて
私たちは、ただ受け入れるだけでいい。
あなたはきっともうとても頑張っていて、そのまま続けるだけでいい。
いまいる場所を受け入れながら、もっと良くなりたいと、自分はそんな良い心を持っていることを忘れないでほしい。
そして、罪悪感ではなくその良い心を道標に、いつか辿り着きたい場所に向かってほしい。