母の優しさ

2021年は、なんだか2020年よりもあっという間だった気がする

仕事が忙しくなって、旅をしない日々にも慣れて
だけど、最後の最後に日本を訪れることができて
本当によかった

久しぶりにみんなに逢えたことで
怖がらずに人を愛するということがどんなだったか
愛されていると信じることがどんなだったかを
思い出せた気がする

もう一つ
両親と長い時間を過ごせたことも
とてもありがたかった

私はずっと、母との仲がとても悪くて
数日間一緒に時間を過ごすと、必ず喧嘩していた

だけど、母が引退して、病院を引き払ったときに
私が小さい頃ずっと大事にしていたくまのぬいぐるみの「くまたくん」を
ずっと病院に飾っておいていてくれたことを知った

ある日、サンフランシスコに届いたくまたくんを友達に見せたとき
その人
「取っておいてくれて、送ってくれるなんて、すごく優しいお母さんだね」
と言われた

いつも自分のことばかり考えていて
感情を人に押し付ける人だと思っていた母が
「優しい人」だと言われたことに驚いて

でもよく見たら、くまたくんは
遠い昔に母が縫ってくれた古びたジャケットを着ていた

仕事もして、家事もして、とても忙しかったはずなのに

そのとき初めて私は
「もしかしてお母さんは、優しい人なのかも知れない」
と思った

私が勝手に
お母さんは「わがままな人」だと決めつけていたのかも知れない

もし私が、まっさらな目で
お母さんは「わがままな人」ではなくて、「優しい人」
だと思うことにしたらどうなるんだろう

たとえば試しに

母の言葉の全ては母の優しさからきていて
母の行動の全ても、母の優しさからきている

と信じてみることにしたら

たとえば
「退職して暇だから早く帰ってきて」という言葉は
私に会いたいという母の優しさ

実家にいた時間、私が友達と逢うことを嫌がっていたことも
感染を拡げないための母の優しさ

そう信じると決めて、しばらく過ごしてみたら
びっくりするぐらいにたくさんの母の優しさに気づき始めて
気づいたら、母が
私の中で「とても優しい人」になっていた

どうして今まで気づかなかったんだろう
と思うくらいに

母を変えることは、永遠に無理だと思っていた

私たちが分かり合えること、心を通じ合えることは
きっと一生難しいと思っていた

母が亡くなったら、私はきっと
そのことを後悔するんだろうと思っていた

だけど、変えなければいけなかったのは、母ではなくて
私自身の見方だったんだと知った

一緒に時間を過ごす間
母はどんどん優しい人になっていって

そんな私たちの優しいやりとりを見て
誰よりも嬉しそうにしていたのは
父だった

両親が退職を迎えて、終活を進める中
私たち家族にとって
後悔のない生き方とは何なんだろう
とずっと思っていた

今ではそれは、私が私の見方を変えることで
私たちが繋がり合い
互いに優しくし合うこと、気にかけ合うことで

私たちが創り上げたこの家族が
とても良いものだったと
とても素晴らしいものだったと
この家族に生まれてきてよかったと
そう思えることなんだと知った

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